約 1,883,996 件
https://w.atwiki.jp/kamika/pages/155.html
《機皇帝》 以下の共通テキストを持つ。 このカードは通常召喚できない。 自分フィールド上に表側表示で存在するモンスターが 効果によって破壊され墓地へ送られた時のみ手札から特殊召喚できる。 1ターンに1度、相手の[[シンクロモンスター]]1体を 装備カード扱いとしてこのカードに装備できる。 このカードの攻撃力は、この効果で装備したモンスターの攻撃力分アップする。 このカードがフィールド上に表側表示で存在する限り、 このカード以外の自分のモンスターは攻撃宣言できない。 自身を特殊召喚する誘発効果、相手のシンクロモンスターを吸収して攻撃力を上げる起動効果である。 このカードを使うには事前に覚えておきたいことがいくつかある。 以下箇条書きでまとめる。 コントロール奪取した相手のモンスターが破壊され、相手の墓地へ送られた場合でも特殊召喚できる。 《希望山脈》等の自身の効果で破壊された場合でも特殊召喚できる。 蘇生制限を満たしても他の方法では特殊召喚することができない。 ダメージステップに破壊された場合、特殊召喚することはできない。 任意効果なため、破壊の後に何か挟まるとタイミングを逃すため特殊召喚できない。 《ワイルドトラップ》等の罠モンスターが破壊された場合は特殊召喚できない(墓地では罠カードとして扱われる。) 手札に機皇帝が2枚以上ある場合、1度に2体を特殊召喚は出来ない(手札誘発の特殊召喚効果は1体だけというルールがある。) テキストが長いのが原因なのかは不明だが、紙カーOCGユーザーにこのジャンルはあまり好まれない。 また効果も非常に複雑なため、これから紙カーOCGを始める初心者にはオススメ出来ない。 関連カード 《機皇帝にとり∞》 《機皇帝ぬえ∞》 《機皇帝妖夢∞》
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2778.html
発売から11年が経ち、wikiも勢いをすっかり無くしてしまっているため、初心者(私もそうですが)への指南と、自他ともに再び三国志11への情熱を復活させることを目的に投稿。 当方初投稿ですので、拙文ですがお読み頂ければ幸いです。 プレイ条件 PS2版PK シナリオ:「187年 4月 何進包囲網」 難易度:上級、戦死「普通」 勢力:龐羲 数字の羅列が出てきますが、その武将の 統率-武力-知力-政治-魅力 を表しています 縛り:武将登用時の功績リセット(古参を重視したいため) それではプレイを開始させて頂きます。 0.現状把握 今回プレイする「龐羲」勢力とはなんぞや?な人のために注釈から始めます。 このシナリオは何進が帝位を簒奪した、というifシナリオになっており、地方では群雄が独立をする……といったシナリオとなっています。そのため、龐羲の他にも厳顔や区星、婁圭といった普段は一般武将となっている武将が君主となっています。 そんな龐羲の能力はこちら。 60-38-68-74-57 (特技なし) はっきりいって君主としては物足りません。 また部下がたった一人だけ、楊懐という武将がいるのですが、その楊懐の能力は 62-68-68-62-53 (特技なし) この二人で統一まで持っていけるはずがありません。 しかし、恵まれたことに(ここしか利点がないのですが)スタート地点は「梓潼」であり、しかも隣接する勢力はありません。これなら内政に励んで在野武将の発掘を待てますね。 という訳にもいかず、北では軍師賈詡と馬騰を手に入れた董卓vs今シナリオ最強と目される何進がドンパチやっているのでいずれは呑み込まれる運命にあるでしょう。 南の江州には厳顔が勢力として独立しています。幸いにも彼らはこちらと同じで武将二人。その能力は 厳顔 79-83-69-67-79 弓将 黄権 75-59-82-79-78 規律 あれ?格差が酷くないか? 1.187年の戦略 ゲームを開始させてまずやることは武将の育成。楊懐はまだ若く、成長過程にあります。具体的には能力値が先ほど挙げた数値よりも3~4低いので、今のうちに能力を上げておけばピークを迎えた際に多少はマシになっている……か? というわけで政治(低)→築城→知力(低)→統率(低)→武力(低)と二年ほどかけて研究します。 187年には在野武将の登用は厳しいものがあるので(というか近隣に現れない)、187年の内に治安、気力の向上をやりきってしまい、ついでに龐羲で成都を占拠します(このとき漢中がまだ空白都市であったため、梓潼のほぼ全軍を持っていきます)。これで187年終わり。 2.188年の戦略 この年は龐羲軍に念願の在野武将が登場します。その名も張任。彼を好きな方もいるかと思います。 張任 88-84-78-59-76 弓将 彼は龐羲が1月上旬に探索すると現れ、3月上旬に龐羲の登用に応じます。 この時点で厳顔には負けない武将を手に入れたため、内政施設を建てだします。 とはいっても梓潼には鍛治だけ作り、弩の自動生産をさせるだけで、後は能力育成を行っていきます。 すると驚き、なんとあの楊懐(60-65-65-60-51)が 70-70-70-71-51 築城 という二流武将に成長しました!これが三国志11PKの最大の醍醐味だと思います。 件の厳顔はまだ内政に苦しみ、兵力2万4千のまま。こちらは徐々に募兵を始めます。 3.189年の戦略 この年は成都に張松、呉蘭、劉璝が登場します。 張松 15-6-88-82-19 呉蘭 62-80-35-36-50 劉璝 71-73-66-44-62 どれも今の龐羲軍には貴重な存在です。まず探索をしてみます。しかしなぜだか引っ掛からない。気を取り直して探索すると劉璝が見つかります。が、3月になっても劉璝が登用に応じてくれません。 ここで張任が武官推挙のイベントを起こします。これは一騎討ちに勝つとその武将が配下に加わるイベントです。呉蘭が相手として登場しました。成都に出現するのにわざわざイベントを起こしてまで来るとは思いませんでした(このイベントは他の都市にいる武将も対象になるため、未知なる武将を楽しみにしている筆者はがっかりしています)。 一騎討ちに勝利し、無事呉蘭を手に入れると劉璝が自ら仕官してくれました。この3ヶ月を返して。 張松は発掘後に建寧に逃げましたが、無事回収。軍師を彼(知力83)にしようかと思いましたが、せっかくなので知力を80に鍛えた楊懐に軍師を任せました。古参(特に楊懐)を重視して活躍させたいと思ったからです。 武将が増えると、行動力が溢れなくなりました。これまではかならず行動力が溢れていたのですが。 ちなみに厳顔は永安を占領しましたが兵力は増えていない様子ですので来年辺りにでも侵攻しようと思います。 あ、あと梓潼に登場する高沛(ただ一人の楊懐と親愛関係にある武将)を確保することを忘れずに行いました。12月に。 4.190年の戦略 この年に成都に登場する王甫を速攻で確保して兵力を増やし夏ごろに江州へ攻めこみました。 王甫 62-41-79-78-73 彼は兵器適正Aであるため戦場でも活躍が見込まれます。江州攻撃は張任(弩隊)、楊懐(弩隊)、劉璝・王甫(井蘭隊)でそれぞれ7千。呉蘭は南蛮征討に向かわせたため今回はお休み。 黄権の抵抗を張任で撃破しながら、井蘭で城兵を削り、楊懐で城を落とします。 梓潼の情勢はというと、ようやく漢中の内政をまとめた何進軍が、袁潭を単騎でこちらに寄越しますが、張松の偽報によって桟道を往復させたので問題はなし。 開始から3年経った今の状況は 董卓・左上3都市(武威、天水、安定) 何進・漢中、長安、洛陽、上庸、宛 曹操・濮陽、陳留、許昌、寿春 龐羲・梓潼、成都、建寧、雲南、江州 厳顔・永安の6千 劉焉・江陵の5百 このことから龐羲軍が永安を取る際に障害はないと思われる。 楊懐・張松・劉璝を剣閣防衛チームに、張任・王甫・高沛を永安攻略チームに編制し、この年を終えた。 5.191年の戦略 前年から永安に軍を進めている龐羲軍は2月上旬に永安を攻略し、厳顔・黄権の両名を配下に加えた。 漢中戦線はというと、剣兵の皇甫嵩や陽平関を防衛し兵糧切れに陥った部隊等が侵攻してきたため、低知力部隊は計略で止めた。高知力部隊も桟道の近くに建設した弓櫓の破壊を行おうとしていたため、弓櫓を「築城」の楊懐で補修しておくだけでその大半を削ることに成功し、その後の撃破に至った。 その途中で楊懐と何進軍・金旋の一騎討ちを起こし見事勝利。金旋を龐羲軍の配下に加えた。 この年は永安の内政と剣閣の防衛に費やされ、成都に出てくる武将の発掘もままならないままになってしまったのが唯一の失敗だ。 楊懐を育成する際にいくつか考えなければいけないことがある。 まず育成システムを有効利用する方法だ。プレイ中に能力を1上げることは手間がかかるものである。その点育成は一度に能力が5上がる。 ここで留意すべきことは「その武将の成長が20未満ならこのシステムを使える」という点である。 さて、楊懐の統率は本来62である。これを利用すると62→67→72→77→80となり、まだ18しか成長していないことになる。そこでもう一度育成を行うことで楊懐の統率は85にまで成長するのである。 しかし現在の楊懐は成長途中であり、まだ統率は60に留まっている。この状態で育成を行っても統率は80止まりとなってしまう。 そのため楊懐の統率が61となる年を待ち、その間は知力方面の育成を行う。 もう一つ考えるべきポイントは育成コマンドで起こるイベントである。 このゲームは育成中にイベントが起こることがある。 統率、武力を鍛える際に一定確率で在野武将と一騎討ちを行い、勝利するとその相手武将が配下に加わる。 また知力、政治、魅力を鍛える際に一定確率で自軍の軍師と舌戦を行うイベントが起こる。舌戦を起こすと修業者と軍師の両者に知力経験値が加算され、能力が上昇しやすくなる。 このため楊懐が修業中の際には軍師を王甫(楊懐と同知力)に代え、舌戦イベントを狙う。今回のプレイでは筆者が弱く、舌戦に負けてしまったが狙っておくべきイベントだろう。 6.192年の戦略 成都に武将を集めて雷銅、秦宓、王累の登用を行う。その他にも流れ着いてきた楊昂や張衛を在野から登用する。 雷銅 69-78-51-37-53 秦宓 16-7-72-78-76 王累 28-30-78-80-73 楊昂 68-72-38-35-42 張衛 74-66-45-44-61 武将の頭数は揃い、あとめぼしい在野武将といえば、江州で193年に現れる甘寧と、建寧で194年に現れる李恢くらいであるので、これからは武将を登用しても能力表記を割愛させていただく。 ちなみに甘寧と李恢の能力はとても優秀であり、登用に成功すれば、おそらく何進軍にも対抗できるはずだ。 甘寧 86-94-76-18-58 威風 李恢 79-65-78-77-80 機略 漢中戦線はというと、漢中と剣閣の間に建設した弓櫓を破壊しに来る何進軍を、一方的に厳顔の弩兵隊で撃退していく。 何進軍は兵力的には最大勢力であるが、漢中は董卓軍との戦闘で疲弊している。 楊懐は上にも挙げた通り、年齢による能力上昇が起こるまでしばらくお休みしてもらって、厳顔・張任の両名で漢中に攻めこむことにした。 もちろん漢中を攻めずに荊州方面へ攻める手もある。荊州方面は武将の質、兵力的にも、何進軍より与し易い相手である。 しかし江陵という、三国志11屈指の守りづらく攻められやすい土地を得ても、伸びてきている孫堅軍や曹操軍には対抗できないので、何進や董卓と戦うことを選んだ。 7.193年の戦略 まず江州に現れる甘寧を登用する。甘寧は呉の武将であるため、龐羲軍の武将と相性が悪く登用に時間がかかった。同じ頃、漢中に流れ着いていた呂蒙を登用。 弱かった槍、戟の武官の補強を二人もした龐羲軍だったが、何進軍も全力を挙げて長安から3万とも4万ともいえる軍を送り出す。 現在の何進軍は漢中から撤退したとはいえ、宛と長安にそれぞれ4万ほどの軍勢がおり、このゲーム屈指の防衛ポイントである陽平関の存在を考えてもこの戦いは厳しいものになると思われた。 しかしここで天祐が起こる。なんと董卓軍が長安に侵攻、それも天水から出陣したため、何進軍の漢中攻略部隊は董卓軍とぶつかり合い、ここから延べ2年に渡る総力戦が行われた。 このプレイ初の危機的状況を一兵も損することなく切り抜けた龐羲軍は、十分すぎるほどの物資を後方から輸送し、漢中を攻略した際捕らえた何進軍の武将を登用する。頭数の揃った龐羲軍は、これで後方都市に主力武将を割く必要がなくなり、実質ゲームクリアを目前にした。 とはいうものの、大陸の東では孫堅と曹操が急激に伸びているため最終決戦までしっかりやりきります。 ※ここではまるで「クリアは余裕」の様に書いていますが、実際はこの後も苦戦が続きます。 8.194年の戦略 まず建寧にいる李恢を登用。これにて主要な在野武将は発掘したので、後方都市は外様である何進軍の武将に委任させた。 続いて董卓軍との決戦で疲弊しきっているため、補給が間に合っていない上庸(兵力1万程度)を攻める。やや抵抗があったものの、厳顔・張任・王甫・甘寧の大陸でも随一の部隊に3万もの兵力。落ちないはずがなく、1月に軍を進め、4月には落城。その後上庸に押し寄せたカク・顔良といった一流武将の侵攻を、なんとか撃退する。 さて、この年楊懐の統率が年齢による成長によって1上がったため、育成を再開。その結果、楊懐の能力は 85-81-82-81-62 BAACCB という三国志世界でもかなりの名将 となった。(総合391は全武将中29位) ついでに余った統率(高)を張任にあげることにしたので、張任の統率は96に。弩兵隊を率いているため、張任の統率の高さはあまり関係無いように見えるが、張任の戟兵適性はS。今後は高武力の武将と敵対することが増えるため、張任の特技・弓将が使いづらくなるかもしれない。そんなときに戟兵隊を率いて、壁になってもらうことが出来るようになった。 現在の勢力図は、 龐羲・上庸、漢中、梓潼、成都、永安、江州、建寧、雲南 董卓・天水、安定、武威 何進・長安、洛陽、宛、襄陽、江陵 曹操・陳留、許昌、寿春、廬江 孫堅・建業、呉、会稽、柴桑、長沙 袁術・新野、汝南 河北は劉備と公孫鑽が取り合っているので、詳しくは書けない。 一応陳珪が下丕β(かひ)と小沛を、劉焉が江夏を支配しているが、おそらくその都市に龐羲軍が辿り着くまでには別の勢力が制圧しているだろう。 私見だが曹操が廬江を取ることに成功したり、何進が南下していたり、なかなか珍しい展開なのではないだろうか。 技巧研究については、先述の通り楊懐の統率育成を中断していたため、難所行軍の他は知力方向の研究を進めている。(技巧研究をした武将はその能力が成長するため、留守を任せた楊懐で技巧研究を行うと、どうしても知力や政治に偏ってしまうせいです) 9.195年の戦略 開始直後に在野武将の法正が安定から流れ着いてくる。どうやら呂蒙といい、この法正といい、今回のプレイは運が良いようだ。 長安と天水の間で行われた何進と董卓の戦いはどうやら董卓軍が勝ち、長安にたくさんの董卓の軍が張り付いている。 ここが好機とみた龐羲軍は、楊懐・張任・厳顔・甘寧の武将たちで漢中から側道を進み、素早く天水を落とした。ここまでは計算の範囲内だった。 問題は新野から袁術軍が上庸に向けて侵攻してきたことだ。 袁術軍は武官は少ないが高知力の武将が多く、1対1の戦なら撃退できるかもしれないが何進と董卓を敵に回した今となっては、強大な敵である。 そこで急遽袁術軍と同盟を結ぶことを決意。龐羲たち巴蜀の武将とは相性が真逆であるのだが、後方都市に余っている金と外交府のお陰で同盟を結ぶことに成功。 というよりも我が軍としては、袁術軍にこのまま何進軍を南北に分断してほしいし、曹操・孫堅の西への侵攻を誰も食い止めないという最悪の状況への対抗策だと考えた。 これによって主力は西の董卓と何進軍の北部を叩くことに集中することができるようになった。本当はかっこよく同盟なんて結ばずに統一する予定だったのに……(このゲームの同盟はただの不可侵条約であるので同盟を結ぶ必要性は低い) 10.196年の戦略 袁術軍と同盟を結び、主力武将を二分する必要が無くなった龐羲軍。しかし、何進・董卓軍は攻勢をさらに強めた。何進はカク・文醜という高武力で高知力の部隊を幾度となく上庸に送り(1年に4~5回)、董卓軍は総勢5万ともいえる軍を天水に繰り出した。 上庸防衛は李恢・法正・黄権といった高い弩兵適性を持つ戦える文官と、育成した呉蘭・後方都市でくすぶっていたその他の武官を組み合わせ、とうとう文醜を捕らえることに成功。その文醜を登用し、上庸防衛戦は解決の兆しを見せた。 天水は甘寧・厳顔・張任のいつものメンツに、新たに特技・覇王を習得した楊懐が加わり、龐徳や馬一族を蹴散らしていく。その余勢を駆って安定攻略に出たまでは良かった。 そこで長安から天水攻撃の華雄隊が出てくる。あらかじめ施設で防衛しているはずだったが、華雄隊はそれを難なく突破し、我が軍の輸送隊を壊滅させる。その後、華雄によってあっさり天水に取りつかれてしまったため、張任を天水まで下げ、防衛を行う。 しかしどうしたことか張任が戦法を5連続失敗(突出ですから成功率は85%のはずですが……)。その上、騎兵戦法による強制一騎討ちが発生。今の天水にいる武将はゼロ。ここで負けて董卓軍に捕らわれてしまったら、後発している兵器隊によって天水が落ちるのは目に見えている。 ここに華雄(武力94)vs張任(武力84)の両軍の柱ともいえる勇将同士の一騎討ちが始まった。 敵将・華雄は攻撃重視を選択。対するこちらの張任は防御重視、相手の闘志が溜まる前に必殺コマンドによる防御力強化を行う。 華雄は闘志重視に切り替え、攻勢を強めつつ闘志ゲージを溜めては、必殺による削りを入れてくる。 戦い合うこと40合、張任はあと僅かな体力を残し、闘志ゲージを最大に貯める。そして「必殺」を三回叩き込むッ! 華雄の体力は僅か、ほんの僅かに残り、張任に反撃を仕掛ける。もはやこれまで、と思ったその瞬間!張任が最後の力を振り絞り、華雄に手痛い一撃を浴びせ、ここで華雄はダウン。 47合に渡る一騎討ちの勝敗は、この天水防衛戦の勝敗を意味していた。 残る董卓軍は張任の攻撃の前に壊滅。同じ頃、安定の攻略を完了。あとは分断された董卓軍を殲滅するのみとなった。 文官の行動にも触れておきますと、 1.黄権は費詩を推挙。舌戦は費詩を一喝したため行わず。 2.前年のいなごに吹き飛ばされた農場を行動力が余っていれば復興させている。 3.特技の築城を覚えさせて放置してしまっていた、古参の秦宓。彼は永安領に弓櫓を大量生産。いくつか間違えて江陵領に置いてしまっているようですが、迎撃に来た孫堅軍を弓櫓が撃破しているようなので、問題なし。 ここで注目すべき点は、とうとう孫堅軍と接触したという点です。孫堅軍は虫の息である劉焉や区星を薙ぎ倒し、荊州をじきに支配するでしょう。その時に備えて弓櫓を作り出したのですが、永安と江陵の境界ってわかりづらいんですよね…… そして河北を取り合っている劉備と公孫鑽が同盟を結んでいることが判明。道理で曹操軍がボコボコにされているわけだ。ここにきてラスボスが誰になるかわからなくなってきたので、この先の侵攻ルートに悩み出した。 現在の勢力図 龐羲・巴蜀+上庸、天水、安定 袁術・汝南、新野 董卓・涼州(分断済み) 何進・洛陽、宛、襄陽(袁術軍が分断済み) 曹操・許昌、寿春、廬江(中原からは追い払われている) 孫堅・呉の一帯、柴桑、荊南をほぼ統一 劉備・西河北、陳留(現在洛陽に侵攻) 公孫鑽・東河北、徐州一帯 11.(幻の)197年の戦略 あらかじめ断っておくと、この197年はかなり内容が濃く、密度の高い一年となり、筆者自身が普段まったりプレイに慣れきっていることもあるが、それを差し引いてもとてもアツい展開の一年となった。(筆者は、この撮れ高を文章に反映できない己の文才を嘆いているようだ) まずこの年に龐羲軍の壮大な戦略を建てた。内容としては董卓の武威、何進の襄陽と宛に対する三方面作戦だ。もし全ての都市を落とすことになれば、これで何進と董卓は残り一都市ずつになる。つまりはこの長い何進・董卓との戦争に決着を付けにいったのだ。 まず武威には我が軍の精鋭である楊懐・厳顔・王甫の三部隊。一応このプレイ日記では有名武将である王甫と表記しているが、実際は王甫の武力を補完するために高沛を入れている。どちらも益州出身の武将であるので筆者自身ももっと活躍させてあげたいと考えている。井蘭隊を率いて城兵を削ってくれているが、トドメは必ず他に譲ることにしているためイマイチ功績が伸びない。 宛方面の布陣は、我が軍の「二流」武将である方悦や金旋、黄権や法正、そして新戦力の文醜。みんな功績が低く寡兵であり、武将が少ない1万5千の宛とはいえ少し不安が残る。 襄陽へは甘寧・呉蘭・李恢という中堅三人衆を起用。確実に仕事をしてくれる三人であるし、なにより袁術軍が襄陽に攻めこんでいる最中であるので、いわゆる横取り狙いだ。 我が軍のエースである張任は天水に対する長安からの部隊をたった一人で撃退し続けているため、この中には加わらなかった。 宛方面は意外な展開となった。迎撃に来る武将はみな二軍に相当するメンツであり、各個撃破によってあっさり城に取りつくと宛が陥落。今回の戦いで最も働いた武将は、撹乱を外しまくった法正でもなく、パッとしなかった文醜でもなく、おそらく心攻によって兵を回復させた方悦であろう。 武威には猛将・龐徳が控えており、苦戦しつつもなんとか撃退し捕縛。龐徳のいない武威はなかなか落城しなかったものの、こちらを壊滅させることは出来ないため、時間を掛けて城を落とす。 問題は襄陽である。李恢が城に近づくと迎撃が出てくる。黄忠・徐晃・顔良の適性Sで武力90以上の三部隊が出撃。李恢が一瞬で溶け、命からがら上庸に逃げる。呉蘭も抵抗するが、またしても1ターンで4000くらいの兵を飛ばされたため、さすがに今の襄陽を攻略することは不可能と判断。全軍撤退を行った。 気づけば袁術軍は一掃され、甘寧・李恢は帰還したものの呉蘭は襄陽で孤立。この時の古参重視を掲げた筆者に襲った呉蘭に対する申し訳なさは理解してもらわなくて結構だが、とにかく大敗北を喫したのである。 退路を絶たれた呉蘭隊を救ったのはなんと袁術軍だった。袁術軍が港を取り返してくれたお陰で何進の軍勢はそちらに向かい、呉蘭は港を取り返し素早く上庸に帰ることが出来た。もちろん袁術軍の部隊が壊滅したことは言うまでもない。 三方面作戦の戦果としては2つの城を落とし、強い武将の捕縛に達成したことであろう。それと同時に、何進の本気を見せ付けられた部分も収穫だろう。 戦力不足を痛感し、何進・董卓軍から強力な武将の登用を行う。結果から言うと龐徳・文聘・賈詡・成公英(COMお得意の、軍師の知力を95に上げるルーチンによって知力95に強化されている)を登用した。古参重視の方針であるため、防衛戦や内政で活躍してくれるだろう。運が良ければ今回の宛攻略戦のように別働隊に編制するかもしれない。 この攻略作戦の後、何進の反攻があった。洛陽から宛に向かって、投石機一体(鮑信隊)。襄陽から上庸に向けて、黄忠隊。 黄忠の上陸を許してはいけない。海上で甘寧をぶつける。当然水上適性Sの甘寧が水上適性Cの黄忠隊に負けるはずがない。こちらは撃退した。 驚いたのは鮑信率いる投石隊。1万3千の投石隊とはいえ、こちらの5部隊1万5千の弩兵隊が全く鮑信を押し返せない。 宛を攻撃され続け落城寸前になったため仕方なく宛を明け渡し、次のターンでの再占領を繰り返す。甚大な被害(全部隊合わせて4千まで減らされる)を受けながら、ここで鮑信隊の気力が0に。ここで鮑信を囲んでこの被害に対する恨みをぶつける。途中文醜が鮑信隊の副将に一騎討ちで勝ったことが気力削りにおいて重要な役割を果たしたようだ。 筆者は前期シナリオをあまりやらないため、何進が投石 霹靂(投石隊によって複数部隊攻撃が攻撃になる技巧)を研究すると知らなかったため、このような結果になったと思われる。それにしても鮑信という武将、良い武将である。寿命の問題さえなければ…… 永安弓櫓建設隊によって建設された弓櫓はすでに15個以上。破壊された分は詳しく数えていないのでわからない。 197年の冬になり、とうとう董卓最後の都市である長安に、楊懐・張任・呂蒙・厳顔で出兵。その頃上庸では、黄忠・孟達率いる何進水軍と甘寧・文聘率いる龐羲水軍の大激突が起ころうとしていた…… 実はそんなことより天下の一大事が起こっている。兵力最大勢力の公孫瓚がとうとう許昌を占領。また劉備が洛陽を落としたため、中原は既に劉備・公孫瓚連合軍の手に落ちてしまったのである。 孫堅軍と曹操軍は伸びると予想していたのだが、寿春争奪戦によって疲弊。しかも孫堅軍有利で進んでいるため、曹操はこのままいくと廬江のみを所有することになる。もし呉・魏の連合軍が出来てしまっては、相当辛い相手となる。 ここにきて、本当に公孫瓚を止める最後の希望となるのが我が盟友袁術になるとは……。袁術と公孫瓚の許昌・徐州決戦を乞うご期待!(フラグ) ※ちなみにこのシナリオ、他勢力からの外交的計略が多く、常に流言や二虎競食の計略をくらっている。そのためかわからないが、一年前チェックしたときは劉備と公孫瓚は親密関係であったのだが、現在は不和。ひょっとしたら直に河北戦争が再開するかも……? ☆謝罪 人為的ミスによりセーブを忘れてしまったため、この197年は幻となってしまいました。申し訳ないです。 再現を試みましたが、全く違う展開となってしまったので主要な変更点を記します。 宛・武威は陥落し、襄陽に負ける軍を派遣したところまでは同じ 登用武将は 「龐徳・賈詡・文聘・成公英」 ↓ 「楊阜・文聘・馬岱・閻行・向朗・劉岱」 許昌を取った勢力が公孫瓚から劉備になる。このため劉備の圧力が減り、何進の宛攻めが激しくなる。しかし何進が兵を宛に出しすぎたせいで、結局洛陽は劉備の手に。宛の防衛戦は(卑怯な手ですが)武関で一方的に殴ることに。 董卓がなぜか天水に攻めてこなかったため、董卓攻めを秋から行う。年変わりには董卓を滅亡させることができそうだ。 孫堅軍が永安の近くの港(巫県港)を押さえてしまった。そのため火船を江陵ー永安間に大量に並べる。もちろん孫堅軍は弓櫓に苦戦中。 袁術軍の襄陽侵攻が好調なこともあり、上庸に何進が攻めてこない。 といったところで再開させていただきます。 ☆1.198年の戦略 まず董卓の引きこもる長安を落とします。あらかじめ出兵している我が軍の精鋭(楊懐・張任・厳顔・王甫・呂蒙)が董卓や徐栄らを蹴散らし、城に取りつくと1月中旬に落城。 ところで龐羲軍は現在最大勢力であり、13都市を保有している。しかし武将は40人ほどしかいないため後方都市の内政は手付かずのままであった。 今ここに董卓軍出身の武将20数名を加え、大分後方都市の運用がラクになった。 3月に新たに登用した韓浩が司馬懿を推挙し、舌戦の末あえなく敗北。司馬懿は他勢力に流れるかと思いきや、なぜか雲南にいるのでしばらくしたら我が軍に加えようかと思います。 4月、劉備が停戦の使者を送ってきた。3ヶ月と短期間で、しばらく攻めこむ予定もないので停戦。 洛陽の関が入り組んでいる地点には、何進軍の残党2~3万ほどが行き場を無くして右往左往している。これを宛から劉璝、長安から厳顔によって挟撃し全滅させる。これにより残る何進軍は襄陽の軍だけとなった。 このゲームではプレイヤー勢力の君主が拠点にいると頻繁にイベントが起こる。龐羲軍はあらかたイベントを起こしたので(これ以上イベント効果を受けたくなかったので)、龐羲自身が廟を探しにいく。廟というのは隠しデータで、ある地点につくと武将が強化されるのだ。さっそく翌年に遺跡を発掘。騎兵適性を上げてくれるという。イラネ 秋になり軍備が整ったため、襄陽を攻めこむ。メンツは龐羲軍オールスターと銘打って、楊懐、張任、甘寧、 厳顔・呉蘭、黄権・雷同・王甫という布陣で出陣した。 迎撃に出た何進軍の顔良が騎兵戦法使用後の強制一騎討ちを挑んで来る。こちらは張任だったが、わざわざ危険を犯してまで勝つ利点もないためここは退却。一騎討ちで怪我したため張任は施設破壊に努めることにした。 ☆2.199年 登用禁止期間が解けた司馬懿を登用。よくぞ我が軍に来てくれた。が、軍師にはなれない。 何進軍を、滅亡させる。いかに相手が強くとも、兵力による優劣はさすがにひっくり返せない。 ここで占領時に金を持っている部隊を入れないというミスで、二流武将を全解放。さらに誤って袁紹夫人の劉氏を解放したため、袁紹も登用不可に。 それでも重要な人物は登用を行う。 韓遂、徐晃、馬超、黄忠、賈詡、李厳、顔良、孟達といった顔ぶれである。やはり相性の問題か、蜀に関係してそうな人物が大量に釣れた。 余勢を駆って江陵へ攻めこむ。江陵は秦宓が弓櫓建設によって敵兵削りの作業を行っていた場所、大した抵抗もなく孫堅が籠る江陵を落とす。 一方そのころ、宛は暇していた二軍武将たち(劉璝、文醜、法正、李恢、李厳など)を許昌に向かわせる。 たかが2万くらいだからこの武将たちでも吹き飛ばせるだろ、と楽観していたが、劉備・張飛・関羽の三義兄弟が出てきて事態は一変。 龐羲軍は苦戦しながらも、李恢で撹乱をかけて各個撃破。幸いにも許昌には軍師タイプの、李恢の撹乱が通らない武将はいない。 そして捕らえた劉備・張飛・関羽は全員斬首。ここらへんは楊懐の前世の記憶が叫んでいるということにしておこう。システム的に仲間にならないということもあるけれども。 劉備軍は新君主である劉辟(この人黄巾系では?)へと代替わりした。 多分読者の皆様は「あれ?この筆者、処断大好きなのかな?」と思われたであろう。しかしこのプレイでは5人しか斬っていない。軍勢を率いながらも、我が軍を裏切った韓馥。このシナリオの悪役である何進(大義名分だから斬ったのである。決して無能だからではない)。そしてこの劉備三義兄弟。 おそらく我が軍後方都市の都督・張松はこれを悲しんだろうが、張松は最初は曹操に取り入ろうとしていたからこの時代はまだ曹操派のはず……? ☆3.200年 さて、あらかじめ予告しておきます。 大陸を統一せず、プレイ日記をあと2年で終わらせます。 理由としては大勢が決してしまっているため、統一までプレイすると見所がこれまで以上にない、いわゆる作業になってしまうためです。ご了承ください。 さて、そうと決まればやることは絞られてきます。 いかに見所を生み出すか? 現在大陸には、西半分を制圧している龐羲軍、その同盟軍である袁術、河北・中原を制圧する公孫瓚・劉備(劉辟)、そして孫堅軍がいますが、その他には荊南で 小競り合いを続ける刑道栄(旧区星軍)、劉焉、廬江の曹操がいる。 ということで見所を作る、という名目で荊南四都市を1年ですべて落としにいく。 結論からいえば、楊懐・張任・厳顔は強かった。本当に200年終了時までには4都市全てをゼロから落としてしまったのだ。敵が弱いのもあるが、長沙でも孫堅の迎撃を物ともせずに、拠点に取り付きあっさり落とす。 一方その頃、龐羲も君主自ら廟・遺跡を探しにいく。この200年の内に、統率を上げる遺跡と特技を与える廟を両方発見。 統率の方はもちろん楊懐の能力向上に使い、特技の方は古参ながらイマイチ戦場にも出れなかった王累に指導をつけ、楊懐とコンビを組ませる。これで楊懐の能力が少しでも上がれば良いのだが…… さて、その間に他の都市では兵が余っていたので、劉辟軍の残党狩りを行う。 まず文醜・法正・黄権・文聘・司馬懿・龐徳といった、古参ではないものの出番を与えてあげたい武将たちで洛陽を物量攻め。トドメは、遺跡探しから帰還した龐羲自らが刺す。 そして余勢を駆って(この軍いつも余勢を駆っているな)、陳留を攻める。さすがにここは苦戦したものの、というかこれはこれで半年くらい戦っていたので激戦といえば激戦なのだが、やはり敵味方共に武将に思い入れがないと、良い戦いに見えないのだ。 最後は龐羲が締めて陳留攻略。これにより王位を自称する龐羲。ここにきて龐羲軍の勢いは益々盛んになった。 最終章.201年 さあ、龐羲軍がやり残したことはないか?と考えると ①楊懐の育成、嫁探し ②公孫瓚の大軍に挑み、龐羲が帝位に上る という二点が思い浮かんだ。筆者的には、(このシナリオの)何進を斬ったため、やることは終わっているのだ。 乱世の姦雄・曹操を滅亡させることがプレイのまとめだと思っていた(まさか公孫瓚に押されるとは……)ため、当初の予定通り曹操攻略に向けて軍を進める。 そのために手前の柴桑にいる孫堅を攻略する。3万程度の抗戦ならば、野戦において楊懐・厳顔・張任の火矢で削り、城に甘寧の兵器が取り付けばあっさりと落ちるのだ。精鋭弩兵を研究した以上、もはや普通の軍では相手にならない。 そのまま曹操軍5万が籠る廬江へ突撃。 厳顔・楊懐・張任・甘寧及び副将は最寄りの港から廬江に取り付く! 次のターン!曹操軍の反撃!呂布・曹操・曹仁……といった超のつく名将どもが龐羲軍をボコボコに殴る!甘寧隊なんと壊滅、厳顔隊も半壊する。 これはまともにやっても勝てない!と思った筆者は、曹操軍が1都市であることを利用して部隊に一切攻撃せず廬江を落とす。これにて曹操軍は滅亡し、相手4万の兵が一瞬にして消える。 このやり方は出陣している武将をみすみす逃がすことになるので普通は推奨されない。が、今は都市数が命。幸い女性武将4人と、曹丕、曹休の射手コンビを確保したので即登用。残りは慈悲の心で解放する。 また、なぜかこの時期になって技巧研究の発展の際に現れる左慈がようやく出現。このイベントは武将の能力経験値を全員・全能力・一定値上げるイベントである。 左慈さんのおかげで楊懐は弩兵適性Sに昇格。統率も大台となる90に上昇。張任の統率に至っては夢の100を達成。今回のプレイの目標をある程度完成させた形だろうか、ここで187年の開始時の能力と今の楊懐の能力を見比べる。 楊懐(187) 59-65-65-59-50(うろ覚え) 楊懐(201) 90-91-89-86-76 さーて、楊懐の嫁は誰にしようか?と悩む。しかしシステムエラーなのかなんなのか知らないが、未婚武将でも結婚出来ない武将がいるため選択肢が思ったより少ない。死没武将が旦那ということもない武将までもがそうなるとは思っていなかった…… かくして楊懐・貂蝉という一組の夫婦が誕生し、筆者を喜ばせた。 ええ、わかってますとも、壮大な茶番です。 一方そのころ、陳留を巡る戦いが激化していた。陳留に籠る10万の龐羲軍に対し、濮陽10万・小沛4万・業β3万が一斉に押し寄せる。実際に出陣したのは合わせて10万くらいだが、厳しい戦いとなった。 と、書きたいところだが敵将を見てみると、先陣を切る太史慈は辛い相手だが後詰めの武将は張絋や騎兵でない公孫瓚などといった大したことがない布陣であったため、弩兵で囲んで各個撃破。陳留西側に押し寄せる軍も法正・呂蒙の足止めにより凌ぎきる。 10月になり濮陽は未だに大軍が残っているが、小沛には3万の兵しかいない。馬岱や文聘らが壊滅するものの、最後には龐羲が小沛を落とし、これで龐羲軍は201年を終わったところで25都市を所有。 翌202年1月1日、楊懐・張任らの勧めにより、龐羲帝位に上る。国号はもちろん蜀であった…… はい、今回のこのプレイ日記をここまで見て下さったみなさん、ありがとうございました。 自分で始めておいてなんですが、正直失踪すると思っていました。(大体龐羲と楊懐なんて誰得勢力だよ) しかし閲覧者が結構いたり、コメントまで付いたりと、発売から10年過ぎたゲームとは思えないくらいに賑わっていて、やはりみなさんも三国志が好きなんだな、と感じました。 このプレイ日記が少しでも読者のみなさまのひとときを楽しませられたのであれば幸いです。 長らく更新遅れてすいませんでした。統一した際の記録を載せる予定でしたが、いわゆる作業になってしまい、しかも公孫瓚の兵力がムダに多いためここで打ちきりというか、完結ということにさせて頂きます。 次の企画がもし進めば日記を書かせて頂くので、その時はまたよろしくお願いいたします。 製作後記 今回文章を書く練習と、私の三国志11の8年分のスキルを総出してどこまでやれるのか、の検証という目的で始めました。 203年の内に楊懐の統率の成長も限界(92)を迎え、功績も6万の上限にぶち当たっていたため、もう楊懐のサクセスストーリーとしても見所がないかなー、と判断し皇帝就任による区切りということにさせて頂きました。 多分超級でもチャート通り張任を確保してしまえばルーティーンの都合上、厳顔は倒せます。おそらく内政が一定ラインまで進まないと何もしません。あとは成都に出てくる内政官と在野の甘寧、李恢を回収すれば詰みはないはず。 ここらへん検証すべきなのでしょうが、まあ龐羲で統一可能とわかったので良かったです。 重ね重ね申し上げますが、御閲覧ありがとうございました。 イイネ!盛り上げ -- 名無しさん (2017-03-21 11 46 06) 196年まで追記させていただきました。コメントありがとうございます。 -- 筆者 (2017-03-22 01 50 44) 楽しみに拝見してます -- 名無しさん (2017-03-22 12 42 50) 面白いよ。がんばれ! -- 名無しさん (2017-03-22 19 30 33) 二件もコメントありがとうございます。コメントのお陰でセーブミスから立ち直れました。今しばらくお付きあいお願いします。 -- 筆者 (2017-03-28 12 02 15) セーブミスあるある過ぎるw -- 名無しさん (2017-03-29 17 54 35) 更新期待、また -- 名無しさん (2017-05-17 22 41 54) 途中送信してしまった。マターリ頑張ってください -- 名無しさん (2017-05-17 22 42 49) 楽しく読ませていただいています。 -- 名無しさん (2017-05-18 20 09 40) 完結おめでとうございます。とても楽しく読ませていただきました。 -- 名無しさん (2017-06-11 04 17 17) お疲れ様でした!楽しく読ませていただきました! -- 名無しさん (2017-06-11 16 42 52) 結婚は勲功リセットしてるから出来なかったんじゃないかと推測しました。しかし、完結お疲れ様でした!楽しかったです -- 名無しさん (2017-12-30 16 23 08) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1969.html
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2047.html
https://w.atwiki.jp/tekiyakusaikyou/pages/232.html
【皇帝騎】 【作品名】 蒼天のセレナリア 【ジャンル】 スチームパンク冒険活劇ADV+冒険SLG 【名前】 皇帝騎 【属性】 巨大碩学機械 【大きさ】 手のひらであっさり都市を覆える大きさ・下半身のない異形の人型 【攻撃力】 叫び声や移動の振動だけで山が消え去る 山、川、平地を同時に消滅させる威力の雷を操る 自然の雷雲もる繰り出せるため、弾速は落雷相応 【防御力】 《雷の盾》と呼ばれる障壁を常時展開している 都市の一区画を吹き飛ばす、イザムバード級の圧縮蒸気砲を受けても無傷 それが貫けない、雷雲を切り裂く風の刃を受けても無傷 砲撃も衝撃も爆発も全て燃やし尽くすとの事 【素早さ】 大きさ相応で移動 【特殊能力】世界を切り分ける、世界の水殻と呼ばれる雷雲の壁を作り出せる あらゆるところに雷を手のように動かせる 《大数式》 搭乗者の技能、世界を解く真実の方程式とされており未来予知のようなものを可能とする 入力した情報が正しくないと機能しないため、全知とは程遠い 【長所】 硬い、強い 【短所】 内部に女性がおり、破壊されると機能が停止する 【戦法】 雷で攻撃する 9スレ目 724 名前:格無しさん[sage] 投稿日:2008/03/16(日) 00 17 49 皇帝騎 ×サナカン>ヴィクター>アシュタロス 破壊力高い負け アゼルより下にはほぼ全てに勝てる アシュタロス>皇帝騎
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1992.html
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2016.html
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/606.html
[部分編集] 反袁紹包囲網 http //www.nicovideo.jp/watch/sm6419886 使用ゲーム 三国志11PK シナリオ・担当勢力 オリジナルシナリオ反袁紹包囲網~天下二日~(反董卓包囲網・改)担当は袁紹軍 シナリオの設定 上級・戦死多い 動画形態 紙芝居、およびプレイと並行しての解説・会話ありの『正統派』動画 登録武将 史実系武将のみ。登録武将についてはマイリスコメにて詳細あり 史実武将の扱い 制限なし。能力は色々いじっています 投稿時期 2009年03月13日~ 投稿者名 HOI2中毒患者 マイリスト 【三国志11オリジナルシナリオ】反袁紹包囲網 関連タグ 【反袁紹包囲網】 関連サイト - 備考 この動画は『正統派』動画です。その点ご注意の上ご視聴ください。前作→炎帝蝗君伝 簡単な解説 -中華に二帝君臨し、竜虎雌雄を決す- 189年9月、漢朝皇帝劉弁が董卓により廃立。新たに劉協が皇帝の座に就く。 そして、歴史が狂い出す… 前月、董卓の司空就任に反発し、都・洛陽を辞して南皮に向かっていた袁紹の元に、天下の病巣を一掃せんが為同盟を結んだ董卓・曹操の追っ手が迫る。 二人の子息を失い、謀臣・審配もまた、顔良を逃れさせるため関羽の青龍偃月刀の前に晒された。 漸くにして根拠地南皮まで逃れた袁紹は、皇族・劉虞を新帝に頂き、董卓・曹操らの連合に対抗すべく、各地へ檄文を飛ばす。 かくして、新たな戦乱の時代が幕を開けた…。 【反袁紹連合】董卓・曹操・劉岱・孔融・陶謙・公孫瓚・劉備・韓馥・馬騰 【対董卓同盟】袁紹・袁術・劉虞・孫堅・皇甫嵩 勝利条件 曹操・董卓軍の滅亡 敗北条件 袁紹軍の滅亡 縛り 田豊 反袁紹連合相手の同盟・停戦の禁止 落雷禁止・あからさまな棺桶禁止 コメント欄 やっつけですが、とりあえず作成してあると修正もしやすいかなと・・・会社休んで何やってんだ俺。 -- 名無しさん (2009-04-20 16 52 54) ↑とりあえずそれが休暇になるならいいんでね?wゆっくり頭と体休めて働けよ。正統派は久しく見てないから覗いてみるか・・・ -- 名無しさん (2009-04-20 17 14 07) 気をつけろ、これは正☆統☆派動画だ -- 名無しさん (2009-04-20 17 22 41) 解説制作乙です。そしてまた田豊縛りwww -- 名無しさん (2009-04-25 14 44 16) 変態記2009なんて称号送られてますが、正統派プレイ動画です。 -- 名無しさん (2009-05-30 05 21 49) 心無い人によって心を折られてしまったようです。(じゃあ自分で動画つくって投稿しろよ。面白い動画作れよ。見せてもらってるのに失礼すぎる。)それに耐え切れなかったうp主もうp主。途中で終わったのは遺憾である。 -- 名無しさん (2009-07-24 23 29 24) 楽しみにしてたから残念だけど、あそこまで言われて心折られたんなら責める気はしない。いままでありがとう。もし帰ってきたら、また見るよ。 -- 名無しさん (2009-07-25 00 45 28) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/gai-hako/pages/141.html
歴代皇帝一覧 代 御名 (在位) 血縁・出自・即位前の主な役職・主な功績 初代 アウグストゥス(前27~後14)ユリウス=カエサルの養子 2代目 ティベリウス(14~37)先帝の養子 3代目 カリグラ(37~41)先帝の孫 4代目 クラディウス(41~54)初代皇帝の孫 5代目 ネロ(54~68)暴君,キリスト教迫害 初代皇帝の曾孫 6代目 ガルバ(68~69)ヒスパニア・タラコネンシス総督 7代目 オトー(69)エトルリア系貴族,ネロの親友 8代目 ウィテリウス(69)執政官の息子 9代目 ウェスパシアヌス(69~79)アシアの徴税請負人の息子 10代目 ティトゥス(79~81)先帝の長男 11代目 ドミティアヌス(81~96)先帝の弟 12代目 ネルヴァ(96~98)五賢帝 ナルニア出身執政官 13代目 トラヤヌス(98~117)五賢帝,帝国最大版図 ヒスパニア出身ゲルマニア総督 14代目 ハドリアヌス(117~138)五賢帝,ブリタニアに長城建設 先帝の従兄弟 15代目 アントニヌス=ピウス(138~161)五賢帝 執政官の息子 16代目 マルクス=アウレリウス=アントニヌス(161~180)五賢帝,哲人皇帝 先帝の養子 17代目 コンモドゥス(180~193)暴虐帝 先帝の息子 18代目 ペルティナクス(193)解放奴隷の息子,執政官 19代目 ディディウス=ユリアヌス(193)元老院議員 帝位を競り落として即位 20代目 セプティミウス=セヴェルス(193~211)カルタゴの騎士階級 21代目 カラカラ(211~217)先帝の息子 帝国内全自由民にローマ市民権を与える 22代目 マクリヌス(217~218)ヌミディア出身 近衛軍団長官 23代目 ヘラガバルス(218~222)セプティミウス=セヴェルスの姪の息子 24代目 アレクサンデル=セヴェルス(222~235)先帝の従弟 25代目 マクシミヌス1世(235~238)軍人皇帝 トラキア出身,ゴート人とアラン人の混血 26代目 ゴルディアヌス1世(238)軍人皇帝 騎士階級の出,元老院議員 共同皇帝ゴルディアヌス2世(238)1世の息子 27代目 プピエヌス(238)軍人皇帝 共同皇帝ハルビヌス(238)軍人出身 執政官 28代目 ゴルディアヌス3世(238~244)ゴルディアヌス2世の姉妹の息子 29代目 フィリップス=アラブス(244~249)軍人皇帝 ダマスクスのローマ市民の息子 30代目 デキウス(249~251)軍人皇帝 パンノニア出身,ドナウ河地方軍長官 31代目 トレボニアヌス(251~253)元老院階級出身 32代目 ヴァレリアヌス(253~260)元老院階級出身 エデッサの戦いでペルシャ皇帝シャープール1世に敗れる 33代目 ガリエヌス(260~268)先帝の息子 34代目 クラウディウス2世(268~270)出自不明,軍人皇帝 ゴート人に勝利 35代目 クィンティルス(270)軍人皇帝 36代目 アウレリアヌス(270~275)軍人皇帝 騎兵隊総司令官 37代目 タキトゥス(275~276) 38代目 プロブス(276~282)軍人皇帝 39代目 マルクス=アウレリウス=カルス(282~283)近衛軍団長官 40代目 西方皇帝カリヌス(283~285)先帝の息子 東方皇帝ヌメリアヌス(283~284)先帝の息子 41代目 東方皇帝ディオクレティアヌス(284~305)軍人皇帝,元一兵卒 親衛隊長官 軍人皇帝時代収拾,4分統治 西方皇帝マクシミアヌス(287~305)軍人出身 西方副帝コンスタンティウス(293~305)クラウディウス2世の姪の息子 東方副帝ガレリウス(293~305)牧夫の息子 軍人出身 42代目 西方皇帝コンスタンティウス(305~306) 西方副帝フラヴィウス=ヴァレリアウス=セヴェルス(305~306)軍人出身 東方皇帝ガレリウス(305~311) 東方副帝マクシミアヌス=ダイア(308~309)ガレリウスの甥 43代目 西方皇帝フラヴィウス=ヴァレリアウス=セヴェルス(306~307) 西方皇帝マクセンティウス(306~312)マクシミアヌスの息子 東方皇帝マクシミアヌス=ダイア(309~313) 東方皇帝リキニウス(308~324)軍人出身 ダキア人の農夫の息子 44代目 コンスタンティヌス(307~337)大帝 コンスタンティウスの息子 6皇帝時代収拾,キリスト教公認、コンスタンティノープル遷都 45代目 コンスタンティウス2世(337~361)先帝の息子 東方皇帝 共同皇帝コンスタンティヌス2世(337~340)先帝の息子 西方皇帝 46代目 ユリアヌス(361~363)背教者 コンスタンティヌスの甥 47代目 ヨヴィアヌス(363~364)軍人出身 48代目 ヴァレンティニアヌス(364~375)将軍の息子 共同皇帝ヴァレンス(364~378)ヴァレンティニアヌスの弟 49代目 グラティアヌス(375~383)ヴァレンティニアヌスの息子 東方皇帝 共同皇帝ヴァレンティニアヌス2世(375~392)ヴァレンティニアヌスの息子 西方皇帝 50代目 テオドシウス(379~395)上級将官の息子 最後の東西統一,キリスト教国教化 帝国最後の東西分割 以下、東ローマ帝国(ビザンツ)皇帝 第51代~第55代は“東方皇帝” 51代目 アルカディウス(395~408)先帝の息子 52代目 テオドシウス2世(408~450)先帝の息子 53代目 マルキアヌス(450~457)先帝の義兄 54代目 レオン(457~474)軍人出身 トラキア生まれ 55代目 レオン2世(474)先帝の孫 56代目 ゼノン(474~491)先帝の父 イサウリア人族長 西ローマ帝国滅亡の為、東西統一皇帝 57代目 バシリスクス(475~476)ゼノンの義母の弟 58代目 ゼノン(復位) 59代目 アナスタシウス(491~518)ゼノンの皇后と結婚 枢密院警護長 60代目 ユスティヌス(518~527)貧農出身 将軍 61代目 ユスティニアヌス(527~585)先帝の甥 ローマ法編纂,聖ソフィア聖堂再建,旧ローマ領の大半を回復 62代目 ユスティヌス2世(565~578)先帝の甥 63代目 ティベリウス2世(578~582)先帝の娘婿 64代目 マウリキウス(582~602)先帝の娘婿 65代目 フォカス(602~610)簒奪者 トラキア出身,百人隊隊長 66代目 ヘラクレイオス(610~641)アルメニア人貴族,カルタゴ総督の息子 帝国のギリシャ化 67代目 コンスタンティヌス3世(641)先帝の息子 68代目 ヘラクレイオス2世(641)ヘラクレイオスの息子 69代目 コンスタンス2世(641~668)コンスタンティヌス3世の息子 70代目 コンスタンティヌス4世(668~685)先帝の息子 71代目 ユスティニアヌス2世(685~694)先帝の息子 72代目 レオンティオス(695~698)イサウリア出身 テマ・へラス長官 73代目 ティベリウス3世(698~705)キュビライオタイ長官 74代目 ユスティニアヌス2世(705~711)(復位) 75代目 フィリピコス=バルダネス(711~713)ペルガモン出身貴族の息子 76代目 アナスタシオス2世(713~715)書記局長官 77代目 テオドシウス3世(715~717)ティベリウス3世の息子 78代目 レオン3世(717~741)キリキア出身 テマ・アナトリコン長官 聖像禁止令 79代目 コンスタンティヌス5世(741~775)先帝の息子 80代目 レオン4世(775~780)先帝の息子 81代目 コンスタンティヌス6世(780~797)先帝の息子 82代目 エイレーネ(797~802)ローマ帝国初の女帝 レオン4世の皇后 83代目 ニケフォロス(802~811)帝国衛星国ガッサン王国王家の子孫 税務長官 84代目 スタウラキオス(811)エイレーネ一族の婿 85代目 ミカエル=ランガベー(811~813)先帝の義弟 86代目 レオン5世(813~820)アルメニア系貴族の息子 テマ・アナトリコン長官 87代目 ミカエル2世(820~829)小アジア出身 先帝の親友 近衛部隊長官 88代目 テオフィロス(829~842)先帝の息子 89代目 ミカエル3世(842~867)先帝の息子 90代目 バシレイオス(867~886)アルメニア系農民の息子 寝室管理長官 パウロ派遠征、キプロス奪還 91代目 レオン6世(886~912)先帝の息子 92代目 アレクサンドロス(912~913)先帝の弟 93代目 コンスタンティヌス7世(913~959※920~944は共同皇帝)先帝の甥 94代目 ロマノス=レカペノス(920~944)アルメニア人農民の息子 軍人出身 95代目 ロマノス2世(959~963)コンスタンティヌス7世の息子 96代目 ニケフォロス2世フォカス(963~969)カッパドキア貴族,皇后と結婚 中央軍総司令官 97代目 ヨハネス=ツィミスケス(969~976)先帝の姉妹の息子 98代目 バシレイオス2世(976~1025)ロマノス2世の息子 ブルガリアを滅ぼす ローマ帝国専制政治黄金時代 99代目 コンスタンティヌス8世(1025~1028)先帝の弟 無能,帝国傾きだす 100代目 ロマノス3世アルギュロス(1028~1034)先帝の娘と結婚 元老院議員首都長官 101代目 ミカエル4世(1034~1041)小アジア農民の息子 皇后と結婚 102代目 ミカエル5世(1041~1042)先帝の甥 103代目 コンスタンティヌス9世モノマコス(1042~1055)皇后と結婚 元老院議員 104代目 テオドラ(1055~1056)女帝 皇后の妹 105代目 ミカエル6世ストラティオティコス(1056~1057)先帝の養子 元老院議員 106代目 イサキオス=コムネノス(1057~1059)小アジア貴族 107代目 コンスタンティヌス10世ドゥーカス(1059~1067)元老院議員 108代目 エウドキア=マクレンボリティサ(1067~1068)女帝,先帝の皇后 109代目 ロマノス4世ディオゲネス(1068~1071)先帝と結婚 カッパドキアの将軍 マンジケルトでセルジュークに完敗 110代目 ミカエル7世(1071~1078)コンスタンティヌス10世の息子 南伊領喪失 111代目 ニケフォロス3世ボタネイアテス(1078~1081)先帝の皇后と結婚 テマ・アナトリコン長官 112代目 アレクシオス=コムネノス(1081~1118)イサキオスの甥 将軍 113代目 ヨハネス2世(1118~1143)先帝の息子 帝国建て直し 小アジア領回復,アンティオキアを収める 114代目 マヌエル(1143~1180)先帝の息子 神聖ローマ帝国やセルジュークと対立,財政破綻 115代目 アレクシオス2世(1180~1183)先帝の息子 116代目 アンドロニコス(1183~1185)アレクシオスの孫 国政改革を行うも失敗 117代目 イサキオス2世アンゲロス(1185~1195)アレクシオスの曾孫 118代目 アレクシオス3世(1195~1203)先帝の弟 119代目 イサキオス2世(1203)復位 120代目 アレクシオス4世(1203~1204)先帝の息子 121代目 アレクシオス5世ドゥーカス(1204) 122代目 コンスタンティノス・ラスカリス(1204) 123代目 テオドロス=ラスカリス(1205~1222)先帝の弟 124代目 ヨハネス3世ドゥーカス=ヴァタツェス(1222~1254)先帝の養子 将軍 125代目 テオドロス2世ラスカリス(1254~1258)先帝の息子 126代目 ヨハネス4世(1258~1261)先帝の息子 127代目 ミカエル8世パレオロゴス(1261~1282)アレクシオス3世の曾孫 128代目 アンドロニコス2世(1282~1328)先帝の息子 文化興隆するも帝国の衰退顕著 共同皇帝 ミカエル9世(1294~1320)先帝の息子 129代目 アンドロニコス3世(1328~1341)先帝の息子 130代目 ヨハネス5世(1341~1391)先帝の息子 131代目 ヨハネス6世カンタクゼノス(1347~1354)名門貴族 共同皇帝 マタイオス=カンタクゼノス(1353~1357)ヨハネス6世の息子 132代目 アンドロニコス4世パレオロゴス(1376~1379)ヨハネス5世の息子 133代目 ヨハネス5世(1379~1391)復位 134代目 ヨハネス7世(1390)アンドロニコス4世の息子 135代目 マヌエル2世(1391~1425)ヨハネス5世の息子 136代目 ヨハネス8世(1425~1448)先帝の息子 137代目 コンスタンティヌス11世ドラガセス(1448~1453)マヌエル2世の息子 ~~この間約30代が“教皇(総主教)”としてコンスタンティノープルに座する。名は歴代皇帝からとって謚られる~~ 138代目 コンスタンティヌス13世テオドシウス(2005.10~2007.3)コンスタンティノープル総主教 名門テオドシウス家 139代目 アレクシオス7世ドラガセス(2007.3~2007.9)先帝の娘と結婚 140代目 ヨハネス10世(10841期~)先帝の兄
https://w.atwiki.jp/kisekiseries/pages/409.html
エレボニア皇帝 エレボニア皇帝(-こうてい、Emperor of Erebonia)は、エレボニア帝国の皇帝。同国の国家元首。 概要 ゼムリア大陸西部の大国、エレボニア帝国を統治する国主であり国家元首。 初代皇帝より約1200年間、一貫して皇帝家であるアルノール家より輩出されており、初代からの皇統は断絶せずに、現在まで至っている。 現代のエレボニア帝国は、概ね立憲君主制に類似した近代的な政治体制を布いており、恐らく皇帝の権力は平時においては限定的であると推測される。 権力そのものを有していても、所謂「君臨すれども統治せず」というのが、帝国の政治的慣例となっているのかも知れない。 帝国の行政権は、皇帝が任命権を持つ宰相が代表を務める帝国政府が、国家の中央政府として委ねられている。 また、 国軍である帝国正規軍の統帥権も国家元首たる皇帝が掌握しているが、こちらに関しても帝国政府にその指揮権が委ねられている。 ギリアス・オズボーン宰相の政権下(七耀暦1193年〜1206年)の帝国においては、国政に関して皇帝ユーゲントIII世はほぼその全権をオズボーンに委ねていた。 また、皇帝は《四大名門》の上に立つ最高位の貴族という側面も持ち、帝都ヘイムダルとその周辺(帝国中央部)は皇帝家の領地(直轄地)である。ただし、帝国の地方部を統治する大貴族とは異なり、皇帝が直接統治を行っている訳ではなく、帝都に関しては帝都庁という行政官庁が行政を担い、その長は帝都庁長官及び帝都ヘイムダル知事である。 歴代のエレボニア皇帝 初代皇帝 調停者アルノール 大崩壊の直後、争っていた二つの至宝の眷属らを調停し、文明再建に大きな役割を果たした人物。 当時から皇帝を名乗っていたかどうかは不明。 第3代皇帝 シオン・アルノール 七耀暦81年頃の皇帝。 七耀教会の空の女神の信仰を受け入れ、帝都ヘイムダルにヘイムダル大聖堂を建立した皇帝。 アストリウスII世 七耀暦371年頃の皇帝。 暗黒竜《ゾロ・アグルーガ》により、死の都と化した帝都ヘイムダルから、南方のセントアークへ遷都した。 ヘクトルI世 七耀暦470年頃の皇帝。 暗黒竜から帝都を解放した皇帝。 第72代皇帝 ヴァリウスV世 七耀暦940年頃の皇帝。 崩御に伴い、《獅子戦役》が勃発した。 第73代皇帝 ドライケルスIII世 《獅子戦役》を終結させた帝国中興の祖。ドライケルス大帝と呼ばれる。 詳細はドライケルス・ライゼ・アルノールを参照。 第73代皇帝 ユーゲントの父帝(先帝) 七耀暦1180年代頃の皇帝。 第87代皇帝 ユーゲントIII世 現在のエレボニア皇帝。 詳細はユーゲント・ライゼ・アルノールを参照。 このページに登録されているタグ エレボニア帝国 用語